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創業150周年に向けて 「弊社の足跡をたどる」その6

2017年11月13日 月曜日


第6回  丸の内界隈 (丸の内八重洲ビル 丸ビル)


今回は私たちの地元である、丸の内界隈を訪ねることにしました。          
「旧丸の内八重洲ビルヂング」と天下の「旧丸の内ビルヂング」です。


■旧丸の内八重洲ビルヂング

設 計     藤村 朗            
竣 工     昭和 3 年 3 月 31 日          
延 坪     5,383.05坪  (貸室約 4,000坪)          
構 造     鉄骨鉄筋コンクリート造  (耐震耐火建築物)           
規 模     陸屋根地階付 8階建           
設 備      客用EV 5台  メールシューター 鋼製建具 消火栓設備          
特 徴      旧丸の内ビルヂングに次ぎ二番目の高層貸事務所 震災の経験を考慮した建物


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竣工当時の丸の内八重洲ビルヂングの全景
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竣工当時の丸の内八重洲ビルヂングの内部

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改築された丸の内パークビルの一部に旧丸の内八重洲ビルの外壁の一部が保存されている。


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丸の内パークビルとの取り合いの状況



■旧丸の内ビルヂング

設計    桜井 小太郎  :註1)
竣工    大正 12 年 2 月 20 日              
延べ坪   18,000坪          
施工    フラー建築会社 (米国)          
構造    鉄骨造カーテンウオール方式 (耐震耐火建築物) 各階床・屋根 鉄筋コンクリート造           
規模     地上9階建 1階 白セメントで造った人造石 2階以上 テラコッタ煉瓦張り 屋上階 擬石仕上げ            
工期    2年8か月 一部入居可能          
特徴   アメリカ式 高層鉄骨オフィスビル


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丸の内ビルヂング竣工当時の全景


丸ビル建設の背景

丸の内の事務所スペースに対する需要は、大正に入るとますます強くなっていきます。
これに対応する供給は相次ぐビル新築によっても追いきませんでした。
これを解決するため、大規模な貸事務所を早く建てる必要があったとされています。


丸ビル 驚異のスピード゙工期

実際の工期は2年8か月で一部入居が可能になっています。
その当時の常識では、(周辺のビルは) 4年から6年の工期が普通でしたが、

これに比べれば非常に短期間で完成しています。

当時の建築界に革命をおこしました建物として、有名です。          
これは施工がフラー社で、アメリカ式の工事管理の成果ではないでしょうか。


丸ビルの画期的な工法

工事管理方式と共に 機械力を駆使した工事でありました。          
その一つが、巨大な蒸気杭打機 2台と30馬力の又胴巻上機付きボイラーが使用され、          
堅固な北米産松が基礎杭として輸入され、長さ50フィート(約15m)のもの、1,350本、          
45フィートのもの 4,093本、合計 5,443本を打ち込みました。(下部写真参照)          
また、鉄骨組立には、移動式起重機等かなりの機械と重機を使用しています。


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基礎工事

蒸気杭打機により丸太が打ち込まれている状況

丸太が山積みされている状況


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現在、丸ビル北側には実際使用した松杭(解体時に取り出した現物)を展示しています。



丸ビルの開館

大正12年(1923)2月20日竣工しました。

それに先立ち貸室予約は大正10年10月から開始され、直後から申し込みが殺到し、

1階商店街のセールスルームの申し込みは貸付粒数の8倍を超える盛況で、

また 2階以上(事務所向)は全貸室坪数の7割8分に達した。

 

開館前から入居の希望が非常に高く、

テナントには一流企業や弁護士、会計事務所、建築家、特許弁理士、医者・歯医者、

雑誌社等 自由業的かつ知的な店子が入居しました。  : 註2)
当時丸ビルで働く女性たちは日本で最も代表的な「オフィスガール」とよばれ、

その数は744人、丸ビル総人口の14%を占めていて、

彼女たちが 「恋の丸ビルあの窓あたり泣いて文かく人もあろ ・・・」と歌に謳われた、

日本一の働くオフィスガールでした。  : 註3)

 

今でも丸の内に働くビジネスマン、ビジネスレディは

丸ビルと丸の内街をステータスシンボルと思っています。

 

丸ビルの出入り口

東側(東京駅側)と北側(行幸通り側)には、3連アーチをデザインした玄関を設け、          
特徴的な出入り口となっていました。


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丸の内ビルディング 東京駅側の玄関前。
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現在は丸ビルの北側に3連アーチが復元されています。



今回改めましてお膝元の丸の内の一部を巡りましたが、

改めて日本一のオフィス街との思いを実感しました、

丸の内にはまだまだ旧丸の内街の遺構が残っています。


後日 それら発見の散歩をしてみたいものです。





註1)  設計者 桜井小太郎

明治3年(1870)東京で旧加賀藩士の家に生まれる。          
東京帝国大学建築学科を卒業 コンドル、辰野金吾らの指導を受ける。          
その後、明治23年ロンドン大学建築学科を首席で卒業し、帰国後明治29年海軍技師          
呉・横須賀で多くの建築を手掛ける。          
大正2年 三菱合資会社地所部に建築顧問として入社。          
大正7年 工務課長を経て技師長に就任  大正9年米国出張 フラー社との打合せの為。



註2)  当社「大澤塗装株式会社」 も昭和初期から店子として丸ビルに事務所を構えました。



註3)  「東京行進曲」  作詞 西条八十、作曲 中山晋平

発売から4か月で、10万枚売れ、結局25万枚の大ヒットのなる。

 

 

出典:丸の内百年のあるみ

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